遥かなる わがヨークシャー (Faraway My Yorkshire)

ヨーク近郊 (Outskirts of York)

23 カースル・ハワード (Castle Howard)

 ヨークから北東へ20kmほど行ったところに、イギリスを代表するカントリー・ハウスの一つ、カースル・ハワードがある。
 このカントリー・ハウスは、18世紀に3代カーライル伯チャールズ・ハワードが建てたものである。設計はバロック様式の建築家ジョン・ヴァンブルーによるもので、カースル・ハワードはバロック建築の傑作の一つとされている。
 カーライル伯ハワード家はイギリス随一の名門貴族で「貴族のなかの貴族」といわれたノーフォーク公ハワード家の分家の一つにあたる。
 3代カーライル伯は、本家のノーフォーク公が未成年ということで、代わって紋章院総裁をつとめた人物である。
 この紋章院総裁という職は、初代ノーフォーク公ジョン・ハワード以来、ノーフォーク公ハワード家が世襲し、王室の重要行事の一切を取り仕切るという要職である。3代伯は、その地位にふさわしいようにと、このカースル・ハワードを建てたという。
 カースル・ハワードは、個人の館といっても宮殿並みの規模があり、まさにイギリス貴族の財力を誇示するものである。
 この館に近づくと、まず中央棟にある、ドームを頂いた巨大な塔――ランタン・タワー――に圧倒される。この中央棟と塔の荘厳にして壮麗な姿には、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂を思わせるものがある。
 カースル・ハワードの建設がはじまったのは1700年のことで、1714年までに全体の3分の2がほぼ完成していた。しかし、1720年になると資金難に陥り、また1726年にはヴァンブルーが亡くなるなどして、建設工事は彼の助手であったニコラス・ホークスムーアの手によって、細々とつづけられた。
 ところが、1736年にホークスムーアが、また1738年には3代カーライル伯爵がとあいついで亡くなった。その結果、建設工事は、中断されてしまった。西側の3分の1は、ほとんど手付かずの状態であった。
 この部分がパラーディオ様式に変更されて完成したのは、4代カーライル伯ヘンリー・ハワードの時代の1759年のことである。その設計をしたのは、4代伯の義理の兄弟で建築家でもあった、サー・トマス・ロビンソンという人物である。

 ヴァンブルーは、カースル・ハワードを1699年に設計し、その建設中の1704年には、イギリスを代表するもう一つのカントリー・ハウスであるブレナム・パレス(オックスフォードシャー)を設計している。その設計は初代マールバラ公ジョン・チャーチルの依頼によるもので、のちにヴァンブルーは、その功績によってナイト爵をあたえられている。
 ところでヴァンブルーは、じつは建築の専門家ではなかった。しかし彼には、ニコラス・ホークスムーアという彼よりすこし若い有能な建築家の友人がいて、ヴァンブルーは彼を助手にしていた。ヴァンブルーの功績はホークスムーアに負うところが大きく、彼の手助けなしには、ヴァンブルーはこれらのカントリー・ハウスを設計することも建設することもできなかっただろうと言われている。
 ヴァンブルーは多彩な才能の持ち主で、海兵隊のキャップテン、画家、劇作家、そして建築家の経歴をもつ。
とはいうものの、要領がよくて世渡り上手といった面もあり、胡散臭い感じがしないでもない人物である。しかしながら、彼が設計したカントリー・ハウスが偉大な建築物であることには変わりはない。
 彼の二つの代表作のうちでわたしの好みは、荘厳で幻想的なここ、カースル・ハワードである。ブレナム・パレスは、依頼主であるマールバラ公爵の夫人セアラが「野暮で途方もない館」と表現したように、壮大ではあるが、ゴツゴツとしている。どこかいかつい感じがし、壮麗さには欠けるような気がする。

 カースル・ハワードの西翼棟にあるロング・ギャラリー(広廊下)には、トマス・ゲインズバラやジョシュア・レイノルズなどのイギリスの画家のほかに、ルーベンスやヴァン・ダイク、ホルバインなどの巨匠らの絵画がならんでいる。そのなかに、ホルバインが1542年に描いたヘンリー8世の肖像画がある。
 ホルバインが描いたヘンリー8世の肖像画は何枚もあるが、もっとも有名なものは、1539年から1540年にかけて描かれ、ローマのバルベリーニ・コレクションになっている肖像画である。これに描かれている王は、肩をいからせ、エネルギッシュで精悍な顔つきをしている。
 これにたいしてカースル・ハワードにある肖像画のヘンリー8世は、顔の表情に精彩がなく、肩も落ちている。描かれたとき51歳のヘンリー8世は、老齢期をむかえ、健康を害していたという。ホルバインは、それを見逃すことなく描いている。そこには、冷徹な肖像画家の目があり、興味深いものがある。

 カースル・ハワードは、スタンリー・キューブリック監督の映画『バリー・リンドン』(1975年)に、主人公のバリーが結婚する相手のリンドン女伯爵の館カースル・ハックトンとして登場してくる。カースル・ハワードの南東側と北側には湖があるが、それらの湖越しに見る館の眺めは、まさにピクチャレスクである。映画のなかに、何度も挿入されている。
 カントリー・ハウスはよく映画の撮影にも使われ、(『サハラに舞う羽根』2002年、『プライドと偏見』2005年、等々)、イギリスの歴史物の映画には欠かせないところである。

 水彩画に描いたのは、館の北側にあり、「グレート・レイク」と呼ばれている、広さが約28haの湖越しに眺めた館である。画面中央の巨大な塔のある部分が中央棟、その左側は東翼棟で、これらはヴァンブルーの設計によるバロック様式で建てられている。右側の丸屋根のある部分が西翼棟で、サー・トマス・ロビンソンの設計によるパラーディオ様式で建てられている。


カースル・ハワードの南正面

About 12 miles to the northeast of York, there is Castle Howard, one of the most magnificent country houses in England.
The house was built by Charles Howard, 3rd Earl of Carlisle in the design of John Vanbrugh, a remarkable architect of the Baroque style.
The Earl of Carlisle was related to the family of the Duke of Norfolk, the most prestigious peer in Britain. The building of the house began in 1700 and about two thirds of it was completed by 1714. But in the 1720s the construction went slowly because of shortage of funds and Vanbrugh's death in 1726. After Vanbrugh's death, his assistant architect Nicholas Hawksmoor continued the work little by little. The successive deaths of Harksmoor in 1736 and the 3rd Earl in 1738 halted the work, leaving the West Wing untouched.
In 1759 Henry Howard, 4th Earl, completed the work of the Palladian West Wing, which was designed by Sir Thomas Robinson, the 4th Earl's brother-in-law and a Palladian architect. The building of the house was then finished.
Castle Howard is not just a country house, but a palace. I was surprised at the gigantic lantern tower having a dome, when I saw the house for the first time. The solemn and magnificent house reminded me of St Peter's cathedral, Vitican.
Vanbrugh designed this grand house in 1699 and also designed Blenheim Palace in 1704, then later he was knighted. He was not a professional architect but had a very skillful assistant architect Nicholas Harksmoor. It is said that Vanbrugh could not have completed the houses without Harksmoor's assistance.
Vanbrugh was very talented person and had various backgrounds such as the captain of the Royal Marines, a painter, a playwright and an architect. He knew how to get along in the world and seemed to be a questionable man for me.
Yet his achivement was great indeed. I prefer Castle Howard to Blenheim Palace. The former is dignified, romantic and fantasic while the latter has a lack of elegance, being "wild and unmerciful" as Sarah, Duchess of Marlborough said.
Having many fine pictures, Castle Howard is comparable to an art museum with masterpieces of Italian Renaissance, Hans Holbein the Younger, Rubens, Van Dyck, Thomas Gainsborough and Joshua Reynolds in the long gallery of the west wing.
I only knew the portraits of Henry VIII and Thomas Howard, 3rd Duke of Norfork painted by Holbein from art books. Holbein painted several portraits of the King. The most famous one (Barberini collection, Rome) painted in 1539/40 shows him powerful and energetic. But in his portrait of Castle Howard, painted in 1542, he looks in low spirits. Holbein did not miss the decline of the King's health.
The view of Castle Howard seen over the South Lake and the Great Lake were very picturesque. When I watched the cinema "Barry Lyndon" directed by Stanley Kubrick, I noticed the view of the house appeared in it many times as Castle Hackton, the house of the Countess Lyndon.


*ジョン・ヴァンブルー、サー (Sir John Vanbrugh, c1664-1726)  1700年代から1720年代前半に活躍した、バロック様式の建築家。元軍人で建築設計の経験はまったくなかったが、要領がよく、カールス・ハワードとブレナム・パレスという、イギリスを代表するカントリー・ハウスを相次いで手がけたことで一躍時代の寵児となった。彼は、有能な建築家で友人でもあったニコラス・ホークスムーア(Nicholas Hawksmoor)を助手としていた。ヴァンブルーの功績は、ホークスムーアに負うところが多いと言われている。

*ジョン・ハワード、初代ノーフォーク公 (John Howard, 1st Duck of Norfolk)  リチャード3世に忠誠を誓うことで、1483年にノーフォーク公爵位に叙爵。この公爵位はイングランド最古の公爵位で、エドワード1世の孫娘マーガレットに女公爵位としてリチャード2世から授爵されたのが最初。もっとも由緒ある公爵位。ジョンの実家がもっていた爵位であるが、王族以外で叙爵したのはジョン・ハワードが初めて。彼はリチャード3世の副官をつとめ、1485年8月22日のボズワースの戦いで戦死。ジョンの長男でサリー伯トマスは逮捕されてロンドン塔に投獄され、ハワード家はすべての爵位を失う。トマスは1489年にヘンリー7世に忠誠を誓うことで釈放されてサリー伯に復権、1514年には2代ノーフォーク公となり、ハワード家は完全に復権する。ハワード家は野心的な一族で、王室に接近し、歴史的な出来事にも深くかかわり、反逆罪で処刑される者もだしてきた家系である。しかし、そのつど不死鳥のごとく復活してきた家系でもある。


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